アメリカ一周グレイハウンドの旅 その2

ニューヨーク編 1983年5月2日~7日

アムトラックで一路ニューヨーク市へ。
午後3時19分グランドセントラル駅に到着。まずホテル探しだ。
43丁目あたりをうろついてやっとバスルーム共同で28ドルの部屋を見つけた。『地球の歩き方』を見せると6日で138ドルにしてくれた。
路上で黒人少年がくれた新聞を読んで驚いた。「黒人ブルース歌手マディー・ウォーターズ死去」!
また、カリフォルニア州で大地震。オハイオ州では竜巻で死者が。マンハッタンであった「エイズ(当時はゲイの癌と呼ばれていた)」のデモ行進のこと。など物騒な記事ばかりだった。

翌日は美術館・博物館を中心に回った。アメリカ自然歴史博物館、メトロポリタン美術館、グッケンハイム美術館。

2日目は国連本部を見学。
途中、公園のベンチに座っていると浮浪者風の黒人が近寄ってきて小さな紙袋に入ったものをさりげなく見せてきて買わないかと言ってきた。「マリファナだ!」とピンときた。「No thanks」と断る。当時のニューヨーク市では公園で“dope”すなわちマリファナ煙草を吸っているのをよく見かけた。本当に危険な街だ。
3日目はブロンクス動物園へ行った。ブロンクス行の地下鉄はセントラルパークを過ぎた当たりから乗客の99%が黒人になった。E.Tremont Av駅を降りて動物園までの数百メートルの間で白人に一人も出会わなかった。通りで耳を澄ませているとスペイン語か英語かわからない言葉が飛び込んでくる。まさに「人種のサラダボール」って感じだ。
午後に再び地下鉄でウォール街へ。今度は道を歩くのはネクタイをした白人のビジネスマンばかり。本当にニューヨークっていう街はおもしろい!
世界貿易センタービルにのぼった。まさか20年後にこのビルに旅客機が飛び込んで崩れてしまうとはだれが想像しただろうか!
スタチューアイランド行の最終フェリーで自由の女神像を見学。当時は像の王冠の所まで登ることができた。内部は大人5人が入るともう一杯になるくらい狭かった。
マンハッタン島に戻り夕食はチャイナタウンに。そしてまたまた驚いてしまった。「えっ、ここはニューヨーク?!」と思うほど中国人ばかりだった。マーケットでの店員の会話もすべて中国語。白人の観光客にすれ違ったが彼らからすれば私も中国人に見えるのかもしれないと思った。
ニューヨーク4日目は、午前中はジョンレノンのダコタハウス・セントラルパークを、午後は両替を兼ねて再びウォール街へ行き、そのあとブルックリン橋をわたってブルックリンを少しうろついた。当たり前だがここも黒人が多かった。

5日目はまずBus Depotでアメリパスを購入。時刻表をもらい明日からの旅の計画を立てることにした。
グリニッジビレッジ、ソーホー、エンパイヤステートビルなどを観光。
翌朝は4時のバスでワシントンDCに行くことにした。