モンゴルの旅その1 2001年7月25日~8月1日

モンゴルにて2001年夏―モンゴルの平原にて― 2001年夏

モンゴルで調整員をしている協力隊同期の友人から「モンゴルはとにかくいいぞ!」「開拓時代のアメリカのがまだ残っている(?)」と聞かされては行くしかないだろう、と家族での初海外旅行を計画。

サマータイム導入のため日本との時差ゼロ。どこでキャンプしてもOK。宿代ゼロ。乗馬ができる。涼しい。といいこと尽くしのモンゴルです。うまみを知って翌年もう一度出かけました。


第1日目 7月25日 晴

モンゴル航空(MIAT)OM904便は関西国際空港を20分遅れで14時20分離陸。エアバスA310-300機はなかなかきれいな旅客機であった。3-4-3席のエコノミークラス席。次男は乳幼児扱いで座席なしだが、最前列の中央4つの席を確保してもらい、案外と楽なフライトであった。往復とも次男はベビーベッドで2時間ほど熟睡した。

ウランバートルのボヤントオハー(=現チンギスハーン)国際空港での入国手続きは友人H氏の出迎えがあったので問題なく済ますことができた。機内では入国カードも税関カードも配られなかった。イミグレーションの前で乗客たちが用紙に記入していた。私たちは旅行会社から記入済みのものをもらっていたので安心。税関カードはもう必要ないらしい。


第2日目 7月26日 晴

ウランバートル市内にあるガンダン寺を見学。チベット仏教寺院のお寺で、境内にマニ車があったので参詣者の真似をして回してみた。

午後から、市内から南に少し行ったザイサン丘に行った。頂上からはウランバートルの街が一望できた。市内には高層マンションの建設が見られるが、ほんの少し街を離れるとゲルがあちこちにある。遊牧民族であるモンゴルのひとたちの中には、コンクリートの建物に住むことに抵抗を感じる人がいて、そんな人たちが暮らしているらしい。


第3日目 7月27日 晴

テレルジでゲルに1泊のキャンプ
テレルジは、ウランバートルから2時間ほどのドライブでいける距離にあり、モンゴル人や外国人の団体が多数やってくる保養地だ。

モンゴルでは移動中にいろんな所で石を積んで棒を立てている塚がある。
「オボー」といって、天の神に捧げるいけにえの動物を置くための場所の目印らしい。オボーの周りを右回りに3回まわるといいそうだ。

ゲルの中はベッドが3つ壁に沿ってならんでいて、真ん中にストーブがある。このストーブは暖を取ると同時に調理用を兼ねている。夜は冷えるので寒かったらストーブをつけるように言われていたが、まさか本当に
つけるとは思ってもいなかった。夜中すぎ冷え込んできたので、ストーブに薪を放り込み点火。火のつけ方は、家のダッチウェストのウッドストーブと基本的な原理は同じだ。結局明け方まで薪を入れ続けた。
夜中に外へ出てみると星空が今までに見たこともないくらい美しかった。


第4日目 7月28日 晴

翌日は2時間の乗馬コースに行った。ツーリストキャンプに来る前に見た大きな亀の形をした奇岩までを往復した。モンゴルの馬はサラブレッドより少し小ぶりで扱いやすかった。モンゴルでは小さな子どもでも上手に
馬に乗っている。まるで日本人が自転車に乗るように野原を駆け回っている。


第5日目 7月29日 晴

ウランバートルから西へ車で2時間ほど行ったトーラ川でディ・キャンプをした。本当はもう少し遠くまで行くとイトウが釣れる場所があるらしいが、いざ出発というときに長男が嘔吐。どうもモンゴルは乾燥がすごく
水分補給ができていなかったことが原因のようだった。SKYデパートで中国製ポカリスェットを見つけたので毎日飲ませることにした。1本が現地の値段で1200tg。
日本変に換算すると約120円!高い!

昼食は流木を集めてワイルドに川原で火をおこしてダッチオーブンで調理をした。メニューは牛もも肉のビール煮込みと焼きうどん。その後は、釣りをしたり木陰で休んだりとのんびりした。

ウランバートル市内を出ると草原の中に舗装した道があるだけで、道路標識も何もない。モンゴル人ドライバーはそんな道をカーナビなしでどんどん走っていく。

ライブの途中、とあるゲルに立ち寄った。馬がいるゲルは馬乳酒がある証拠。そこを目指して突然訪問する。見渡す限りの広い草原に家畜を放牧させながら移動しているそうだ。訪問したゲルのご主人の子どもは
学校があるのでウランバートル市内で暮らしているそうだ。

ウランバートルから南西約40kmのトウヴ県の県都ゾーンモドにあるゴアンズ(食堂)で「ボーズ」を食べた。「ボーズ」とは、モンゴル風羊肉まんじゅうで、肉汁たっぷりでうまかった。モンゴル風ミルクティー「スーティツアイ」は塩味のミルクティーといったところか。
モンゴルの人は日本のお茶感覚で飲んでいるようだ。羊肉はさみ揚げパンケーキ「ホーショール」は、油っぽくて塩辛いけど美味しい。

ライブしていると至る所で放牧中の家畜に車を止められてしまう。そんなときもこちらの人はあせらず少し離れて家畜が行き過ぎるのを待っている。たった1週間の旅だが、忙しい日本の生活を忘れさせえてくれるいい旅だった。


第6日目 7月30日 晴

中国の北京から伸びた鉄道に乗れば、モンゴルを南北に縦断してモスクワまでいけるらしいが、今回は時間の余裕がないので、この日に少しだけモンゴル鉄道に乗ってみることにした。

友人H氏のドライバーに頼んで、ウランバートルから30分くらいの駅まで迎えに来てもらうことにした。ウランバートル駅発ゾーンハラ行き各駅停車の列車に乗車。16時50分定刻発。最初の駅、トルゴイト駅まで20分。対向列車待ち合わせで20分停車。次のエメートル駅まで20分。
エメートル駅はかなりの急峻な上り坂を登ったところにあった。運賃はコンパートメントが400tg(約30円)だった。列車内にサモールと呼ばれる給湯器があり、50tgで紅茶を注文した。

モンゴルで楽しかった乗り物と言えば、ウランバートル市内を走るトローリーバスだ。日本の援助で導入されたらしいが、しょっちゅうバスの屋根にあるパンタグラフが外れて、その度に運転手がおりて直しているのがおもしろかった。

もうひとつ、楽しいと言うか怖いのがモンゴルの観覧車。なんと人力で回転していた。係員が大きな車輪を足で押して勢いをつけて、その動力で観覧車が回転すると言う優れもの!!10年以上前のことなので今まだあるのでしょうか?


第7日目 7月31日 晴

モンゴル自然史博物館に行く。
ゴビ砂漠で発掘されたタルボサウルスの骨格標本は圧巻でした。
館内のショップで買ったお面が原因で空港の税関で止められるとは思いもしなかった。


第8日目 8月1日 晴

モンゴル航空OM903便にて無事帰国


今回の旅は、長男4歳、次男1歳のときだったので、長男は大人料金の8割、次男は2割程度の航空運賃で済んだのがよかった。その反面やはり幼い頃の旅行は子どもの記憶にあまり残らないのだろうか?
長男は、帰国後2,3年は、モンゴルの匂いがするということを時たま言ったりしていたが、いまでは自分たちがモンゴルに行ったことすら覚えていない有様だ。まぁ、親の思い出作りのためと思えば納得!
ウランバートル

ザイサン丘よりウランバートル市を望む

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