アメリカ再訪 レンタカーの旅12日間 

ウィスコンシン地図ミルウォーキーのジェレラル・ミッチル国際空からアーモンドへ

第4日目 8月11日(木)現地時間

ウィスコンシンへ:5時起床。ウィスコンシン州ミルウォーキー行きの飛行機がニューヨーク・ラガーディア空港6時55分発のためだ。前日にフロントでタクシーを予約しようとしたら、ニューヨークのタクシーは4人乗りなので、SUVでないと
交通違反になると言われた。しかたなく75ドルでミニバンを予約したのだが、早朝ホテル前にやってきた車にびっくり。なんと真っ白なリムジンではないか!いまさら、文句を言う時間的余裕もないので仕方なく乗り込んだ。3日前のタクシーと違い、今度は
いやにゆっくりとしたスピードで空港へ向かう。20分ほどで空港に到着し、カードで支払おうしたら、「Cash Only」と運ちゃん。これは、ホテルのフロントも関わった詐欺の一種だったのか。あとでホテルを予約したサイトに報告することにして、その場は支払いを済ませた。

アメリカ国内線は受託荷物が有料だ。2つで30ドル。今回はHOTWIREという格安チケットサイトで予約したAir Tran Airwaysといアメリカではメジャー?なローコストキャリア(LCC)を利用。航空会社の評価サイトではフライトの遅延率が高いキャリアは評価が低くなるせいなのか。
まだ出発時刻が来ていないのに離陸の準備を始めてしまった。結局ミルウォーキーにはかなり早めに到着したのだった。

<DAY 4> August 11 EST
The receptionist at the hotel had us reserve an suv because we were five in number, which a yellowcab couldn’t hold. And to our surprise, I found a white stretched limo pulling over in front of the hotel. I suspect that it was so called an unlicenced taxi
since the driver did not accept a credit card.


アーモンドへ:ミルウォーキー国際空港は新しいきれいな空港だった。ただ、空港のカーペット敷きのフロアーを、家の磨り減った車輪のスーツケースを引っ張って行くのに苦労した。JFKのタクシードライバーがウィスコンシンは何もないって言っていたが、
空港にハーレー・ダビッドソンのショップがあった。そうだ、ここミルウォーキーはハーレーの故郷ではないか。

空港内のファーストフードショップで朝食を取り、いよいよレンタカーのカウンターへ。いろんなサイトを参考にした結果、ダラーレンタカーが他のメジャー会社よりかなり格安な料金で車を借りれることが分かり日本で予約をしておいた。ネックは、乗り捨て料金。ミルウォーキーで
借りてニューヨークで返すとプラス300ドルが余計にかかってしまう。いろんなルートを考えたが、結局300ドルを必要経費と考えた訳だ。

カウンターでは国際免許証とクレジットカードを見せて簡単な質問に答えるだけでOKだった。今回は、もしものことを考えて自動車保険もフルで加入するタイプにした。ガソリン料金も予め含んだ料金設定だが、これは結局車を返却するときにちょうどタンクが空になるように
計算しておく必要があるのでどっちもどっちだ。

駐車場に行くと用意されていたのは、シェボレーの白のインパラ。トランクにスーツケースを2個入れて、5人がゆったりと乗車できるフルサイズカーだ。さっそく、ガーミンを接続。車を駐車場から外に出すが衛星を感知してくれずあせった。数十メートル走ったところでどうにか現在の場所を
設定することができた。あとは、ナビの言うとおりにアーモンド向けて車を走らせるだけだ。

とにかく、交差点で反対車線に進入しないように気をつけた。運転しながらインパネ周りのいろんなスイッチを確認。オートクルーズの使い方が分かってからは、ハイウェイの運転が数段楽になった。この日の走行距離は250キロあまりだが、途中で昼食のためにハイウェイを降りてレストランに
寄った後、再びハイウェイに行く途中の道が工事中で、さらに迂回路の標識もなくかなり遠回りをすることになった。結局最後までハイウェイに乗ることなくトウモロコシとポテト畑のカウンティロードをアーモンドまで行くことになった。

29年ぶりのアーモンド。町自体はほとんど変わっていなかった。玄関の呼びベルを押すとまずケビンが出てきた。そしてお母さんのヘルムリックさんとカート。ハグで再会を喜び合った。当然のことだが、当時小学生と中学生だった2人はもう立派な大人だ。
ケビンは現在テキサスのサンアントニオに住んでいて、ちょうど8月に奥さんと2人の子どもを連れて里帰りをしていた。カートはミネソタの病院勤務で、私の訪問に合わせてアーモンドに戻ってきてくれていた。ヘルムリックさんは髪がグレーになった他は変わらず、とてもお元気のようで
うれしかった。今でも車を運転して次男のガソリンスタンドで事務の手伝いをしているそうだ。ヘルムリックさんの家族の近況は毎年クリスマスカードに同封されているレターに詳しく記されているのだが、写真を交換したことがはなかった。私がアメリカ訪問を決めたのが出発の1ヶ月前だったので、
連絡のためe-mailを使ったが、後で伺うとご自宅はネットがないので職場のアドレスで送ってきたらしい。リビングでお話をするうちに夕食の時間になってしまった。ピザを頼んでくれていると言うので夕食を御呼ばれした。夕食前のお祈りとお皿のコーンとポテトを見て30年前の記憶がよみがえってきた。
ヘルムリックさんがウィンクをしながら話す様子も30年前と少しも変わりがなかった。この30年間来よう来ようと思いながら、今まで思いを実現することができなかったことが今更残念に思える。次回の再会までお元気でいてください。

After eating at the fastfood restaurant in the airport, we rented an Chevolret Impala from Dollars Rental. Taking good care not to drive on the other side, I started to drive toward Almond.
About 170 miles drive brought us to Mrs. Helmrick’s house, my host-mother 29 years ago. Kevin and Kurt were also there. Kevin came all the way from San Antonio with his wife and two sons. And Kurt came from Minneapolis. I was so glad to see them again
after so many years. It was good to renew our friendship.