1987年12月24日(木)晴れ
1日を2回すごすというのはやはり変な気分だ。確か24日は終ったと思うのに今日も24日。でも今度日本に帰る時は一日損をするのだから同じか!
朝、お袋に林飛行場まで送ってもらい11時5分のANAで大阪空港へ。NWのカウンターを3回もまちがってやっと搭乗手続きをすませ、2階国際線ロビーへ。もう回りはどれが日本人でどれが外人か分わからない。
税関、移民局を通って10番ゲートへ。成田まではNW8便で行き、成田からNW2使に乗り変える。途中、日本アルプスが雪をかぶってきれいだった。座席は通路側でよかった。隣は2人とも若い女の子。話しからして高校生とその先輩だった。ほとんど話す機会もなかった。ホームステーをしに米国に行っているそうだ。30分おくれの朝9時半にLAXに到着。入手続きをしシャトルバスでRTD乗り場まで行き、そこからダウンタウンへ。バスが満席でのろのろしてグレイハウンドのディーポについたのは正午。ウィンストンへもへリムリックさんへも電話しなかった。
そうこうしているうちに国境の街San Ysidro行きのバスがでるので昼食も食べずにバスに乗る。サンディエゴまではバスは満席だった.
隣にすわってい男の人とちょっと話をした。その人はメキシコ生まれの人で、友人に会いに行く途中だそうだ。オレが日本からだというと、日本ではまだ棒を2本使って食事を食べているのか?とか、日本人も中国人も同じような目をしているけど、日本人の方がintellectual だとかいいろとおもしろい話が聞けた。San Ysidroに着いたのは結局夕方6時。国境を歩いて超えたけど、移民局らしき建物がないので米国側の警官になにか手続きはしなくていいのかと尋ねると、ピザが来年6月まで有効なら、きれるまでにもどってこればいいと言うので信じてここまできたけどやはりえ不安になったので明日再び国境に行ってみよう。国境をこえるとTijuanaのセントラルへは歩いてすぐだと書てあるけど、もう回りは暗いし全然わからないので子連れの女の人に尋ねると、ついてこいというので行ってる途中で向こうから来ているバスに乗ればセントラルにへ行けるというので乗ってセントラルへ。今から南下するのも疲れているので、本に載っているホテルラファイエットに宿をとる。今日は1ドル=2200ペソでものすごい暴落だ。でもホテルも値あがりしていて、払って後でしまった思った。やっと外食をHotel Nelsonの一階で食べるが、こちらはビールを飲んでも4ドル足らずの安さ!シャワーが水しか出ない。朝まで待てだって!!
- ホテルにて
- 遠距離バス
- Tijuana