スペイン・モロッコの旅 1993年12月24日~1994年1月7日

旅行マップ今回の旅のルート

英国留学中の妻とマドリッドで落ち合い、スペインそしてモロッコを旅しました。


第1日目 12月24日

関空からフランクフルト経由でマドリッドに到着。妻は一足早くマドリッドに来ており、いろいろ観光したけれどマドリッドは大都会で落ち着かないというので翌日に南のセビリアに行くことにした。


第2日目 12月25日

スペイン新幹線AVEでセビリアへ。約2時間半の快適な移動だった。列車が南に向かうにつれて車窓から見える景色が変化した。何よりも驚いたのは日本と違い全く広告看板がないことだ。荒涼とした丘陵地帯に所々オリーブ園があるだけのさびしい景色だった。
セビリアで2泊。楽しみはバルで食べるタパス。タパスとは小皿に盛られたオードブルといった感じの料理で、手軽に美味しい料理が楽しめる。タパスとビール(cerveza)あるいはワイン(vino)の相性のいいこと!すっかり虜になってしまった。


第4日目 12月27日

モロッコへ行きはジブラルタル海峡をフェリーで渡るルートを選んだ。フェリーの発着場があるアルへシラスまではセビリアから高速バスを利用。帰りは時間節約のためにカサブランカから空路にした。アルへシラスの旅行代理店であらかじめ航空チケットを購入しておいた。
アルへシラスからモロッコのタンジェへはフェリーで約3時間。タンジェから鉄道でマラケシュまで移動する予定だが、寝台席が満席で残っていたのは2等のコーチ席のみ。固い座席でマラケシュまでの夜行の旅はきつかった


第5日目 12月28日

初めて訪れたアラブの街マラケシュはこれまで見たことのない雰囲気の街だった。昼間のフナ広場は大道芸人がたくさんいて賑やかだが、夜のフナ広場は別世界に迷い込んだような雰囲気だ。いろんな種類の屋台が建っており見ているだけでも飽きない。

マラケシュのもう一つの魅力はメディナだ。まるで迷路のような旧市街地メディナの中は、革製品、衣類、金細工、刺繍から食料品、そして日用雑貨…、ありとあらゆる店がずらっと並んでいる。しかし、小奇麗な格好の日本人観光客は、メディナの商人にとってはカモネギなのかもしれない。言葉も分からないし相場も分からないので買い物もできない。しかし、モロッコ人が普段に買ったりしている店だとそれほどぼられることはないのかもしれない。注意したいのは観光客相手の土産屋だろう。ブルキナファソでうっかりそういった店に入って、何も買わずに出ようとしたら脅されて仕方なくラクダの置物を買ってしまった苦い経験がある。


第7日目 12月30日

マラケシュに2泊した後サハラ砂漠を見ようということになり、サハラの入り口の町「ワルザザート」に向かった。
ワルザザーへは4000メートル級の山が連なるアトラス山脈を越える必要がある。バスで約5時間。途中のティスカ峠は標高2260m。
ワルザザーとはベルベル人の町で、街で見かける人たちもこれまで見ていたアラブ系の人たちとはどことなく容姿が異なる。

サハラに行くツアーを探したが良いものがなかった。ちょうど日本人女性2人組を見かけたので思い切って声をかけてみたら彼女たちも同じようなサハラ行のツアーを探していた。日帰りではどうしても砂漠まではいけないらしいので、4人でタクシーをチャーターして大きな砂丘がある場所まで行くことにした。


第8日目 12月31日

ホテルに帰ってみるとロビーに日本人がたくさんいた。その中の一人、小柄で口ひげを蓄えた男性が私たちを自宅に招待してくれるというのだ。なんでもベルベル人の女性と結婚してこちらに住んでいるらしい。モロッコに住んで数年になるが、年に一度大晦日だけ街に来て日本人を探して家に招待しているそうだ。夕方ホテルに迎えに来てくれるというので喜んで招待をお受けした。
その日招待されたのは私たちを含めて総勢12名。旅の強者ばかりで、青年時代3年間世界86か国をヒッチハイクで回ったおじさんはスペインに留学中の娘さんとモロッコを旅行中。東京のOLさん。広告関係の仕事を辞めて3か国旅行予定のKさん夫妻。科学者のKさん。定時制高校教員のHさん。NYの日本人学校の先生の女性は妹さんと旅行中。といった具合。
年越しそばならぬ年越しスパゲティと鶏飯をごちそうになった。話が盛り上がり、夜中の3時まで話し込んでしまった。


第9日目 1月1日

昨日に引き続きMさんにベルベル人の奥さんが手によりをかけて作ってくれたクスクスをごちそうになった。Mさんによるとレストランでもクスクスを食べることができるが、おいしいと思ったことはないそうだ。クスクスは元来家庭料理なので家庭ごとに味が異なり、観光客向けに作られたクスクスは本当の味ではないらしい。台所の大きな2段の鍋の下で羊肉と野菜を煮込み、その蒸気で上の鍋に入れたクスクスを蒸していた。大皿に盛られたクスクスを客人全員が手で食べるのだが、面白いことに食べ方で人間関係が分かるらしい。すなわち、仲の良いまたは気心の知れた人同士だと崩して食べるクスクスの境目が残らないのだが、それが他人同士だとどうしても間に垣根が残ってしまうらしい。


第10日目 1月2日

昼過ぎにMさんとスークに行き買い物。この日はマラケシュに戻る予定だが、国営バスの方はすでに満席。民営バスの方もすごい人だかり。やっとのことでチケットを買うことができた。再びアトラス山脈を越えてマラケシュに戻ったのは夜の10時だった。


第11日目 1月3日

マラケシュからカサブランカまでのバスもやはり国営CTMは満席。民営もすごい混みようで、おまけに出発が遅れカサブランカに夜の7時に到着。ホテルを探していると、水兵さんが親切にもホテルまで案内してくれた。お金を要求されず、初めて親切なモロッコ人?に出会った感じだった。


第12日目 1月4日

カサブランカからマドリッドまでのロイヤル・エアー・モロッコ航空のチケットはアルへシラスで購入していたのだが、空港の窓口でエコノミーのカウンターに並んでいると係員があちらに並べというので「affaires」と書かれたカウンターでチェックイン。飛行機に乗ってみてびっくり。「affaires」とはフランスで「ビジネスクラス」のことだった。飛行機に乗るとすぐに「カヴァ」がサーブされたのにはびっくりした。
空港で会った日本人男性Oさんは、カナダにワーキングホリディで滞在しているが冬休みを利用してモーリタニアのベルベル人の家にホームスティしてきたそうだ。その夜はOさんと3人でバルへ。久々のお酒に感動してしまった。

モロッコで食べた料理編


帰国して感じたこと

矛盾するが、モロッコはアフリカであってアフリカではない。要は何を持って「アフリカ」と言うかということだ。確かに私が2年間滞在したガーナの様なサブサハラの国々とモロッコの様なマグレブの国々とは文化や食生活が全く異なる。しかし共通しているのは何か混沌とした中にある美というか、ヨーロッパや北米の国の旅行では体験することのできない「生命感」だろう。
「発展途上国」の一言で括ってしまうのは簡単かもしれないが、そういった国を旅するたびにハッと気付かされるものがあり、そのハッとした感覚を楽しみに旅行をしているといっても過言ではないだろう。


お財布事情

当時のレートで示してみました。

場所 品目 現地の値段 円換算
スペイン AVE(マドリッド‐セビリア) 17,800ペセタ 15,000円
フェリー(アルヘシ‐タンジェ) 2,700ペセタ、 2,300円
航空券(カサブランカ‐マドリッド) 39,630ペセタ 33,700円
マラケシュ 2等客車(タンジェ‐マラケシュ) 134ディルハム 1,500円
バス(マラケシュ‐ワルザザ) 44ディルハム 500円
Hotel Atlas(ダブル) 56ディルハム 630円
ワルザザート Hotel Royal 82ディルハム 1,000円
砂丘ツアー(チャーター) 250ディルハム 2,120円