任国外旅行その2‐コートジボアール編‐1991年4月19日~4月26日

アビジャンからサッサンドラへ

第15日目 4月19日 曇

2度とこんな列車に乗りたくない!朝の6時半なのにまだアビジャンに着かない。何も食わずに1日以上。お金の節約にはなったぞ!

午後2時過ぎ、やっとアビジャンに到着。両替をしてアクラへ戻る飛行機を予約しようとしたが満席。ガーナに戻るにはあとはSTCバスかフェリーのみ!最悪だ!

その晩はトレッシュビル地区にあるTreichotelに投宿。2日ぶりの食事だ。ホテル横のセネガル料理のチョップバーでRiz Grasを食べたがガーナでいうジョロフライス(炊き込みご飯)だった。夕食はプラトー地区のナイジェリア料理のレストランに行ったが、疲れていたのでほとんど食べれなかった。

タクシーの運転手にガーナ行のSTCバスのことを訪ねたら一日に何本か出ているそうなのであわてる必要はないとのこと。そこで帰国までビーチでのんびりしたいなと思い、アビジャンの西にあるサッサンドラという町に行くことにした。


第16日目 4月20日 曇/雨

昨夜は足が疲れて熱をもってなかなか寝付かれなかった。やはりビーチ行はあきらめようかとも思ったが、アビジャンにいても仕方ないので朝6時に起きてタクシーでバス停に行った。

バス停近くでガキが寄ってきて「どこへ行くんだ?」としつこく窓から首を突っ込んで聞いてくる。どうも自分のバスに案内したいから必死で聞いているようだ。込み入ったターミナルの間を走って案内するガキの後をついて行くとサッサンドラ行のバス停にはまあまあ大きいバスが停まっていた。俺は24番目の乗客だった。この調子だと満席になるまで2時間くらいかかりそうだ。

待合室で時間をつぶしていると隣りの青年が英語で話しかけてきた。聞くとナイジェリア生まれで両親がサッサンドラに住んでいるので休暇で行くところらしい。いいホテルを知っているので紹介すると言ってくれた。

荷物の積み込みが終わったと思ったらどこのバカが段ボール40個も持ってきて積み込み始めてまた待つはめになった。

出発と同時にスコール。アビジャン郊外まで雨は続いた。郊外に延びる立派な高速道を北へ約50キロほど行き、そこからは熱帯雨林の間を西へ進んでいった。ガニョア(Gagnoa)という町で休憩。スタンド横の食堂で昼食。水が洗剤臭かった。

雨が再び降り出した。雨で気温が下がってきたこともありお腹の調子が悪くなった。早く到着を願った。

結局サッサンドラには夕方6時に到着。さっそく宿を紹介すると言い寄ってくる奴が近付いてきた。ラグーン横のレストランにある「海の家」といったところで1泊2500CFA。まあ安いし、感じがいいのでそこに泊まることにした。カシミールというガイドで、明日は自分のボートでマングローブにカバを見に行き、夜は海岸でシーフード・バーベキューを食べてキャンプしようと言う。

夕食を食べていると一緒のバスに乗っていた外国人カップルが話しかけてきた。オランダ人で、男性は昼間は外国人センターで労働者のための雑誌編集や就職問題を扱って夜は文学部の学生をしているそうだ。女性は精神科の医師だそうだ。5週間の休暇でこれからトーゴ、ベニンをまわるそうだ。


第17日目 4月21日

朝6時にカシミールがカバを見に行くというので待っていたけど結局やってきたのは6時半。その上用意していたのが丸太船でオランダ人2人とガイド2人に俺が乗ったら沈んでしまいそうなボートだった。

まずGin Africaineを作っているのを見に行こうといったのが何のことはないアパテシ(ヤシ酒から作る蒸留酒)。こちらの言葉で「コトク(Cotocou)」と言うらしい。

再びボートに乗って川をさかのぼって行った。動物と言っても大トカゲやサル、尾の長い野鳥くらいなもので、肝心のカバも近付くと危険と言うことで遠くにいるカバの鼻と目しか見えなかった。結局それだけ見て帰ってきて1時間当たり1000CFAだと言ってきた。まあガイドと言うのはでたらめで暇な青年が外国人観光客相手にやっているバイトっていう感じだった。


第18日目 4月22日 晴

アビジャン行のバスは乗ってきたバスの折り返し運転なのでサッサンドラを出るのが夜8時の夜行バスらしい。アビジャンには明け方の4時か5時に到着と言うことだ。飛行機は隣りのサンペドロから週4便飛んでいるらしい。と言うことで後丸々2日ここで過ごすことになった。

そこでPoly Plageというビーチがいいというので行ってみた。タクシーで15分くらいの場所だが、オフシーズンだからか冷えたビールが置いてなかった。ロブスターをBBQして生ぬるいSOLIBRA BOCKという大瓶のビールを4本も空けてしまったのでさすがに疲れてしまった。帰りのタクシーは漁師のおばちゃんと相乗り。どうもガーナのセコンディ出身らしく、俺がファンティ語を話したら目を丸くして驚いていた。ガーナ人漁師は西アフリカでは有名らしく、ギニア湾沿岸で活躍しているそうだ。

ビーチから戻ると頭が痛くなってきた。体温を測ろうにも気温が高すぎて測る前から42℃を指していた。オランダ人のマイクの彼女も熱を出したらしい。この気候と変な食事にやられたのかもしれない。


第19日目 4月23日 曇/雨

午前中はカフェで休んでゆっくりした。昼から最後のサッサンドラを写真に収めに散策した。

歌手のマデスによるとサッサンドラという地名はかつてこの地にやってきたスペイン人が母国のサン・サンドリア(San Sandria)に似ているのでつけたのが時と共にサッサンドラとなったらしい。

ラグーンの入り江の岬に立っているColonial Houseを見て、漁港に行ってみた。やはりいたのはガーナ人の漁師たち。ここでもファンティ語が役に立った。

ホテルに戻ってFoutouを食べて椅子でくつろいでいると食堂のおばちゃんがいきなりファンティ語で話しかけてきた。マデスがおれが話せるといったらしい。

夜のアビジャン行のバスでたまたま例のナイジェリア人のジェシーと一緒になった。これからナイジェリアに陸路で帰るそうだ。


第20日目 4月24日 雨

また雨が降り始めた。アビジャンに着くとジェシーがその足でガーナに行きたいというのでSTCバス乗り場まで行った。アクラへは毎朝7時発のバスがあり、水曜日にはクマシ行きのもあるようだ。STCバスはなかなか出発しそうにないのでジェシーはアジャメに行ってローリーを乗り継いでガーナに向かうそうだ。

俺はTrechhotelに再び投宿。ポーターのおじさんが俺のシェラカップを手にニコニコしながら近づいてきた。なくしたと思っていたシェラカップだ。この間、水を買ってもらった時にチップをはずんであげたのがよかったのか。

ホテルでシャワーを浴びて、ちょっと休憩して街のカフェで朝食を食べていたら雨。

アビジャンは物価が高いし俺たちの来る場所ではなさそうだ。Treichvilleなんて歩いているだけでPoliceがID見せろだの、ウェストバッグに何が入っているのだと聞いてくる。それで公用パスポートを見せると肩をたたいて気を付けろよだなんて言いやがる!

夕食はChez Babouyaというガイドブックに載っていたモーリタニア料理のレストランに行った。場所がちょっとわかりにくかったが地元の人に聞いてやっとわかった。店全体がテントの中といった雰囲気で、料理自体はたいしたことはなかった。最後に出されたミントティーだけはおいしかった。


第21日目 4月25日 曇

STCバスでアビジャンからへアクラへ

どうにかアクラ行のSTCバスのチケットを手に入れることができた。シート番号45だって。ギリギリだったな。

出発は確か7時のはずだが、チケットを売り始めたのが7時半。まだ荷物を積んでいないので出発は9時かな!

乗客はほとんどがマーケットマミーたち。すごい荷物を持って来ている。風呂敷包みの荷物が荷物室に入りきらず、後部座席に積み込み始めた。俺の席はどうなるのか!

もうバス乗り場は完全にガーナだった。「Bra bra(来い)!」と人を呼びつけるやり方はガーナでしか見ない。ブルキナでは誰もしていなかったぞ!

バスが出発したのが10時半。いくつも検問所を通り過ぎて昼過ぎにやっと国境だ。検問所を通るたびに運転手が係官にお金を渡している。座席の荷物を見て警察官がもう少し金をよこせと要求している。

冗談のようだが荷物をすべて降ろし始めた。国境のパスポートコントロールはすんなり通過できたのに、これではいったい何時にアクラに着けるのだろうか!荷物のチェックに2,3時間はかかるという。もうこれ以上待てないのでここからタクシーで同期隊員がいるタコラディーまで行くことにした。国境の町EluboからAximあたりの景色はマングローブ林が広がりコートジボアールのサッサンドラとさほど変わりがない。ここらあたりに旅行に来るのも悪くないな。

タコラディーの同期隊員もちょうど任国外旅行に出かけているのだが、もう戻ってきているだろうと期待してアパートに行くと運よくイギリスから帰ったところだった。スキーはゲレンデが吹雪いてできなかったそうだ。でも夢のような20日間だったとか!こちらは大変な3週間だった!
とりあえずシャワーを浴びさせてもらいその夜はゆっくりした。翌朝バスでアクラに行き、3週間の任国外旅行が終了した。


任国外旅行その1‐ブルキナファソ編‐に戻る