メキシコ旅行Day6

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1987年12月30日(水)晴

もうここに書ききれなくいいいろんなことのあった2日半だった。それもこれもあの池田親子に出会ったのが発端。
まずケタロを9時事に出発したのだけど、ターミナルに行って一等バスの方に行くと切符は売り切れだの、2時間後に来いとか言って相手にしてしれないので仕方なく2等の方へ行くと、“servicio directo a Maxico tada 10 minstos”なんて書いてあって、Tadaを辞書で引いていてびってり、こっちは10分毎にバスがあるないか!それですぐ切符を買ってケレタロを後にする。
メヒコに着いてとりあえす次の目的地ベラクルスに行く切符を買おうと、東部行きターミナルに行き、夜10時の便を予約。そして半日をどうするか考えて予備知識にと、日本観光協会に行ったのだけど、年末・正月休みで閉まっている。そうせっかく来たのにとそこから歩いてチャプルテベック公園に行うとして道がわからなくなってたまたまあったしストランでComida Corridaを頼むとまたこれが3000ペソでなかなかいける。ビールをたのむと凍っていたりして別のやつをもってきてくれたりした。公園にに来たので城にでも上ろうと思って上までいくと、もう門が閉まっていて入れなかった。上でビデオカメラを持った子供連れ夫婦がいた。「しまってるの?!」と日本語で言っていたので確実にJaponesas。仕方なくレフォルマ通りを歩いてアルメダ公園まで行ったけど優に1時間はかかった。ララノアメリカナタワーに登り、うるちょろしていると8時がきたのでターミナルにもどってきて、またそこでバスに乗るのに一苦労。先発バスの呼び出しがあるけど、もちろんスペイン語なのでわからないので自分でバスの前でいろいろとチケットをみせて尋ねたけど、あれに乗れ、いやこれに乗れとどれに乗っていいかわからず、たまりかねてやっとまだ案内されてないバスに一番に乗せてくれた。あれほど2等パスに乗らないと心に決めていたのにまた二等の同じバス会社。ベラクルスまでの6時間途中雨が降りだし、霧はでるし夜中だしで、もう今は命は運転手にすべてかかっているので祈りながらも目がさめるとベラクルス。待合室にでて建て物があまりにもみすほらしいので、ぶるぶると震えだした。朝まで2時肉あるし、寒いしで石のベンチにすわっていると警官がやってきて職務質問されて、オレの身分がわかると肩をポンと肩をたたいて「気を付けて」たって。
セントロ行きのバスをみつけようと外をぐるっと回ってビックリ!裏に立派な一等バスのビルがあり中にはもうたくさんの人がいてバスを待っているではないか!それでやっと安心。サレクリストバル・デルカサに行くためにグジャエルモサまでのチケットを買いセントロへ。ソカロのアルマス公園は木のおい繁り噴水のあるきれいな公園で、とりあえず本にのっているパデキアカフェでハムエッグとカフェオレを食べる。本の通りカフェコンレチェを催促するのにコップをチンチンと叩いているのが聞こえ、そしてよこではマリンバを演奏している。おあいい雰囲気たな!こんなところは一人で来るものじゃないなと思った。
ホテルがあくまでの時間、マラコン通りをうろつき、観光協会で地図をもらい、コロニアルホテルに部屋をとる。本にのっているようにロカ・デル・リコにシーフードを食べにバスに乗ったけどレストランの場所が分からず歩いてユカタン半島の料理なんて書いてある店にはいったけど、魚の焼んだのかんて味もいまいちで、サルサがバカみたいに辛くてチップを置かないで出てきた。セントロまで一時間歩きホテルで部屋がベッドメーキングできたのでシャワーをあひて、ちょっとねて下のバーで「クーバリーブレ」を飲んでいると、物売りの青年が「日本人か?そうならむこうのレストランに日本人の女性がいるけど、オマエも日本人なら話しかけてあとは自由にしな。」なんでいうものだから興味もあったので行ってみると親子連れ。がっかりしたけど一応話しかけてみた。それが埼玉の池田親子で東京で小学校の先生をしていて、娘さんはUCアーバン校の3年生だって。アイオワのパブリックカレッジから編入しているそうだ、ちょっと街をぐるっと一緒に回り、みやげを買ってアマルス公園へ帰ってきて、路上で銀工芸品とかを売っているおじさんとちょっと話をしたり.ベンチにすわっていて、前から不思議に思っていた木の幹を白く塗っているのをなぜと思って隣の親子にも勇敢にもスペイン語で尋ねたその人も「クリスマスなのでお祝と違いますか?」だって!
それかご話がはずんで日本のお金を持っているかというので10円硬貨をわたしては100ペソと交換したりした。小学生くらいの息子さんは少し英語ができるみたりだった。SFから来ているそうだ。その次にタバコ売りの女の人の2才くらの男の子がよちよち歩き歩いていて、コカコーラがほしいとか言っていたので”Quiere Coca?”なんてきいていると仲良くなって少し話した。
そしてそしてである。そのちょっと前に男の人が話しかけてきて、自分はスイスに住んでいたことがあってその時は、毎年クリスマス・新年に家に招待されていたので、メキシコに帰ってからもお礼の気持ちをこめて外国の人を招待したいので一緒に飲まないかかと言ってきたけど、その場では買い物があるのでと断っていたけど、もとってみるといたので池田さんが手を振って呼んだ。もうその時点で11時で遅かったのに今から場所を変えてビーチのビデオのみれるレストランバーに行くけど来ないか?いとこのフランシスコも一緒だと言ってくる。これはやばいのとちがうか思ったたけど池田さんの娘さんの方が腰が軽そうでついていきたいみたいたけど、何があるかわからないし、オレはこんなところで無一文になってうえ殺されるのはいやだから断ったら再びやってきて、ここで飲もうということなりバーにすわると次々に友達もやってきて話ははすんだ。いとこのフランシスコはフィアンセがモデルをしていて東京にいるけど、手紙をいくら出しても着かないので手紙をお前に託すので、日本でだしてくれという。スペイン語しが話しできないが、ゆっくりと妙な英語交じりのスペイン語をオレの耳元で話してくる。もう一人のペドロという青年は英・西・仏・伊語をこなす人で、オしがスペイン語習っているというと独学じゃなくてやはり基礎は学校で習うべきだと教えてくれた。話がはずんで新年のお祝にメキシコ人の家庭に来てくれないかという。オレは明日ラジャサルモサに行くチケットを買っているので結局は一日延ばしキャンセルすることにした。そして今夜中の3時。まだ広場の周りは人々でにぎやかだ。こんなにぎやかな大晦日なんて初めてだな。さあ明日はどうなることやら!メキシコで死にたくなんかないよ!!